
「バトン自分史・・・・・それ何?」。冨田さんの考えや夢をお聴きするにつれ、まったく同感と言うより共感したのが2年前。そうしたことがあって、妻と私のバトン自分史を作って頂くことになりました。
人間、だれしも「自分たち夫婦はどんな生き方をして来たのだろう?」、「夫々はどのような生活環境で育ったのだろう、どのような周囲の人との関係を持っていたのだろう?」、「皆は我々二人をどのような人間と見ていたのだろう?」などなど、自分では判っている積りでも、それはあくまで主観的理解です。しかし、バトンタッチして後世に残すのは主観ではありません。我々がこの世に生きた証を主観でなく客観で残す、ここにバトン自分史の意味があると思う訳です。これが主観だけで書かれたものであれば、むしろバトンタッチしない方が良いかも知れないとさえ思います。それは後世に誤った情報を残すことになってしまうからです。(お断りしておきますが、主観を残したら何故悪い?という議論もあると思います。私は”悪い”と言っている訳ではありません。ただ、そうしたくないと思っている訳です)私は”客観”の”客観”は現実あり得ないと思っていますが、他人の目を通して我々を見ることによってかなり客観化出来るのではないかと考え、この度の作品「好子と順夫」の製作を冨田さんにお願いした次第です。
冨田さんは、ひたすら我々二人を冷静に見つめ、”より客観的に”をモットーとして取材に励んで下さったと推測しています。この冨田さんのご努力のお蔭で、我々二人の生きた証の一部ではあるかも知れませんが、より客観性を持った作品に仕上がったと大変満足しています。そして、この本を読んで下さった皆さまから、嬉しい有形、無形の励ましを頂き、これからの人生の力となってくれています。
この場をお借りして、冨田さんと、我々二人のことを語って下さった先輩、同僚、後輩の皆さまにも厚くお礼申しあげます。
2012年2月
(川崎市宮前区在住 74歳)
※ご依頼主は19年間奥様を介護され続けている男性です。「妻の生い立ちと夫婦の歩みを残せるのは自分しかいない」という思いから、制作のご依頼をいただきました。
「あとがき」より
高校を卒業して大学を受験するために家を出てからというもの、長いこと家族との交流はほとんどありませんでした。形式的な年賀状は送っていましたが、あとは子供が生まれたから見せに行くであるとか、父の葬式であるとか、なにか特別なことがなければ家に帰ることもありませんでした。四十年近くの間、私が家に戻ったのは数回だけだったと思います。
家族は私が何をやっているのか知らないですし、私も家族のことにまったく関心がありませんでした。それが普通だと思っていたわけです。家族の大切さをあまり感じなかったのですね。
ところが、二年前にあることがきっかけで家族の大切さに気づくようになりました。それ以来、今は時間があれば家に帰って、母親の元気な姿を見ようとか、母親の畑の仕事を手伝おうなどと思うようになりました。今までなかった家族との触れ合いを取り戻すような感じです。
そんなときに、ウィルウィンドの冨田さんと出会い、聞き取りをして一人の人生を記録に残すということを知りました。そういえば自分は両親のことはほとんど知らないなと思いました。ほとんど交流がなかったわけですから、当たり前といえば当たり前です。父が退職後靖国神社に来たとき会ったこともありますが、父もあまり自分のことは話しませんでした。だからこそ、母が元気な内に、母の生き様を聞いて本に残そうと思い、冨田さんに聞き取りをお願いしました。実の子供に話すより第三者に話した方が話しやすいだろうと思ったからです。
最初は聞き取りをしてもらうということを、母親にどう言おうかと悩みました。でも「話しを聞く人が来るから、話してくれ」とそのまま言うと、「ええよ」との返事が帰ってきました。そして、実際に聞き取りがはじまると、冨田さんの優しさと柔らかさが、その心配を杞憂のものにしてくれました。その結果この本ができたのです。
できた本を読んで、改めて母の人生を知りました。戦争と戦争後の過酷な社会の中で必死に生きてきたのだなと思い、また、母が、私も知っている多くの人に支えられてもきたのだなということがわかりました。理解が深まれば家族の絆も更に強くなります。私たち家族の絆も更に深まるでしょう。
突然の話にいやな顔をせず、話をしてくれた母に感謝します。また、関係者の皆様に、この場を借りて厚くお礼申しあげます。
2009年9月
(東京都文京区在住。60歳)
家族にバトンを渡しました。
一番大変だったことは書いていないかもしれません。
少年時代が大変でした。戦争中が大変でした。
自分史をまとめて思いました。「人生とはこういうものか」と。
(東京都狛江市在住。88歳)
父からバトンを受け取りました。
自分史で語られていることは父の苦労のほんの一部のような気がします。
もっとひどい目に遭っているんじゃないか・・・
ページとページの間から、そんなことを感じました。
「そんなことはない」父に聞いても父は笑って答えます。
(東京都足立区在住。49歳)
父は倒れて以来、失語症の気があったのですが
100ページにもわたる話を聞き出していただけるなんて思ってもみませんでした。
家族一同、感謝しています。
(千葉県市川市在住。35歳)
母の遺産を前借りして、私たち家族のために
バトンを作ってもらいました。
中途半端な遺産を残すくらいなら
お金には代えられない遺産を残してほしいとお願いしました。
(東京都目黒区在住。45歳)